父が元気だった頃、草刈りは父の仕事でした。夏になると草刈り機をブンブン鳴らしてました。
今から4年前、コロナが流行し始めた頃草刈り機の使い方がよくわからなくなったみたいで、その頃から私がするようになりました。
草刈りを初めてすぐの頃は、鎌で刈りました。GWにあまりに伸びすぎたカラスノエンドウに耐え切れず・・・
多分8時間くらいかかったんじゃないかな。
途中ご近所さんが『草刈り機使ったらすぐなのに鎌は大変じゃろ~』と言ってくれたけど、そこはわかってても鎌でやりました。
でも、耐え切れず翌週にはマイ草刈り機を購入したけど。
草刈り機を購入してからは、父が居ない間にこっそり刈っていました。
父が居ない間にっていうのは、ちょびっと父を気遣って・・・
働き者の父が私が草刈りする姿を見ると、自分もするって言いかねない、そういう人なんです。
病気が進行してから、自分が出来ないって納得してからは父がいてもやっていましたけど、そんな時には母に
『娘に草刈りさせるなんて可哀そうじゃ。ワシがこんなになってしもうての。すまん言うといてくれ。』と言ってたそうです。
私の様子を見に来た時には『お父さん、私格好ええじゃろ?草刈り思うたより楽しいわ。もう私に任せてええからね。』と伝えていました。
それでも母には『あんな事言うとるけど、可哀そうじゃ。』と言っていたそうです。
でも、数分後にはその記憶も無くなるんですけどね。
なんてったって父は草刈り後の畑を見て『今日はしんどかったわ。こんだけ刈ったらやっぱり疲れる。年じゃのぉ~』と。
ハイ、記憶が入れ替わってます。自分がやった事になってます。でもそんな時は
『お父さん、しんどかったろ?キレイにしてくれてありがとうね』と伝えてました。
病気になっても『頼りにしている』っていう事を忘れないために小芝居をしていました。
認知症には小芝居も大切な介護の一環なんだよね。
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