先日亡くなった叔父の四十九日が今度の日曜に執り行われます。
キミコの空家からは母が列席。
その四十九日を執り行うにあたって・・・叔母から母の元へ毎日のように電話があります^^;
相談・・・じゃないな、愚痴だな。
その電話に付き合う母も気の毒・・・
昔の仕来りとかは関係ない
現代のやり方でやる
とそのお宅の息子(私の従弟)が言うらしい。
確かに我が家の場合でも、「昔ながらの~」とか、「昔は~」とか、「みんな~」っていう言葉が母から出てくるのに若干うんざりしていました。
でも、よくよく聞けば納得出来るし、列席の方へ無礼があってはいけないから~っていう事もあるし。
でも叔母の話ではさすがの私も
そりゃないわ~
って思う事も多々。
みんなが納得できる事をやるのが一番いいんだろうけど、それも難しいのかな。
でも、「そりゃないわ」の一番は
お寺は呼ばんでいい
自分がする
って言った事。
だったら最初から戒名なんてもらわなければいいのに。
それと、自分の親に向かって
嫁さんの親が一番大事
って言ったこと。
思っててもいいけど、自分の親に向かってわざわざ言うかな。
それに、この法要で一番大事なのは、供養する義叔父さんで次は列席してくれる方々じゃないかと私は思います。
何でも、その法要自宅でやるらしく(我が家は葬儀場のホールを借りてやりました)、その自宅でする理由は節約のためだったらしいけど、その際お嫁さんのご両親に色々手伝いをお願いしていて、どうやらそれが申し訳ないって思っているみたい。
お嫁さんに頭が上がらんのんか?
ホールを借りた場合は、細々した事はそのホールのスタッフがやってくれるから、安心して任せる事が出来ました。
列席してくれる方々に無礼な事もないし。
田舎の場合、親戚が多いからどうしても色々言う方がいるしね。
叔母は
何でこんなになったんか
情けなくって涙出る
と都度電話口で母に涙声で言うそうです。
で、我が家の場合はどうだった?と聞くそうです。
我が家は、母にとって最愛の父を送ること、父の供養っていうのは母がやりたいようにしたらいいって思ってました。
母も
私のやりたいようにやらせて
って言ってたし。
父の介護のほとんどを母がやっていて、自営業だった我が家は両親24時間一緒に過ごしていました。
だから、父を思う気持ちっていうのは誰よりも強いはずって思っていたし。
でもその叔母、言いたい事を母に言ってスッキリしたら決まっていうそうです。
息子なんかに負けんから
私がせんと出来んのんだから
と。
そうですよ。こういう法要事は、高齢の方から学ぶんです。学んだうえで、不要と思う事はしなくていいんです。
ほら、型があるから型破りだけど、型がないは形無しって言うじゃないですか。
次の日曜日が四十九日法要です。
さぁどうなるか、母からの報告が楽しみ。
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