祈ること~阪神大震災から29年

日々のこと

 

阪神大震災から今日で29年。

そして今は北陸で震災。自然災害はどうにもならないとわかっていても、やりきれない気持ちです。

田舎暮らしの記録を毎日しているけど、お腹に重いモノを抱えながらアップしています。

大変な思いをしている方がいるのに、こんなことやってていいのか?って思ってしまう・・・

でも、元気な地域は通常通りの生活をして、世の中を回していったほうがいいんじゃないかっとも思っています。

 

 

29年前の1月16日、友人達と東京へ遊びに行っていました。

行きは高速バス、帰りも高速バス~と思っていたけど、新幹線に変更しよう~って事になって新幹線で震災前日に自宅に帰っていました。

もし、高速バスで帰っていたら時間的に震災に巻き込まれていても不思議ではありません。

震災当日はキミコの空地方でも震度4。初めての震度4ですごく怖かったのを覚えています。

 

神戸の親戚は屋根瓦が落ち、家財はぐちゃぐちゃ。

神戸の同僚はドーンって鳴ったのと同時に天井が目の前にあった、とも言っていました。

勤務していた会社も神戸に支社があり、当時の支社長は原チャリで予備ガソリンを持って支社全員の安否確認に走ったそうです。

確か、職場でも義援金やお見舞金を募っていたんじゃなかったかな。

陸路で物資を運ぶのが困難だったので、クルーザーを持っていた友人グループは、海から物資を運び、その船に料理人の方が同乗し炊き出しに行っていました。

海上保安庁に勤務していた友人は、海上の交通整理をしていたそうです。

 

 

 

その後の東北大震災。

友人の幼馴染が岩手に嫁いでいて、震災当日はたまたま実家に帰省していたので震災には合わなかったけど、東北のご家族が被災し、メディアで伝えられていた100倍の過酷さだったそうです。

その時、友人から支援物資を運ぶ手続きが済んだから、なんでもいいから協力してと連絡がありました。

田舎の家あるあるで、使っていないたくさんの毛布やタオル類を託した事を覚えています。

 

 

 

熊本の震災では、隣の部署の方が熊本出身で、ご自宅は無事だったけど親戚の方が多数被災されたようでした。

社内の有志で集めた御見舞金を託し、その方からテントがあればテントを協力してくれないか?と言われ、地元の友人に声をかけたらかなりのテントが集まり、その方に託したのを覚えています。

 

 

 

西日本豪雨の際は、キミコの空地方から近かった事もあり、ボランティアに何度か行きました。

あの時は暑かったなぁ~。

 

 

自然災害はどうする事もできない。誰が悪いわけでもない。

自分自身が大きな災害にあった事がないから、何とも言えないけど、

でもきっと受け入れるしかないんですよね。進むしかないんですよね。

安全な地域の私達には祈ることしかできません。義援金を送ることしかできません。

でも、希望だけは捨てないで欲しい。

明日は必ずきます。ともに進みましょう。

 

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